東京高等裁判所 昭和45年(う)1281号 判決
被告人 高橋正老
〔抄 録〕
被告人の控訴趣意、ならびに弁護人の控訴趣意第一ないし第三は、要するに、被告人は、本件金二、〇〇〇円は原判示場所で地上に落ちていたのを拾つて、しかるべきすじに届けるつもりであつたものであつて、他人所有のものを盗むつもりはなかつたとして、原判決の事実誤認を主張するものである。
しかし、右所論に基づき記録を精査し、原判決挙示の関係証拠のほか、被告人の検察官に対する供述調書(二通)ならびに当審証人菅野忠夫の証言を総合すると、石島美智雄は、原判示日時に川崎競輪場第二投票所千円券売場前でコートの右ポケツトの中にあつた一万一、〇〇〇円のうちから千円札二枚を出して車券を買おうとしていた時、ズボン左後ポケツトのボタンがはずれ、札のふくらみがなくなった感じがしたので、その中に裸のまま二つ折りにひとまとめにして入れておいた千円札二〇枚をすり取られたと思い、左手でさぐつてみたら思つたとおりボタンがはずれて千円札二〇枚がなくなつていることがわかつた、そこで大声で「やられた。」とどなりながら左うしろを見ると、マスクをかけた被告人がしやがんで路面にかたまつて落ちていた千円札にさわろうとしているので、「おれの金だから返えせ。」と二、三回言いながら、被告人の手を押さえ、たがいに何枚かの千円札を引張つているうち双方立ち上つたが、立ち上つてからも被告人は手にいくらかの千円札を持つたまま逃げようとするので、その手をつかんでいたところへさわぎを聞きつけてすり取締り中の菅野刑事がきて被告人を捕えたので、その場で石島は、被告人が手から放した三~四枚の千円札を取り返えすとともに、被告人は、菅野刑事から「ほかに取つた金があるなら出せ。」といわれたのに応じて、先刻石島ともみ合つている隙に乗じてす早く自分のスボンポケツトに入れてかくし持つていた千円札二枚を同刑事にさし出した、そこで、石島は、被告人及び右菅野刑事といつしよに警備詰所に行き、同所で菅野刑事から示された先刻の千円札二枚を確認したところ、右千円札のうち一枚は約五分の一、一枚は約四分の一、それぞれその端がちぎれており、石島がさきの現場で拾い集めて持っていた千円札の端片二枚とその切り口が完全に符合したことが認められる。ところで、被告人は、落ちていたそれらの現金を一応拾つて、しかるべきすじに届けるつもりであつたというが、それならば、しきりに自分の金だといつている相手の石島にいつたん渡してから同人とともに詰所なりへ出向いたうえ、警察官などに対してその間の事情を説明すればこと足りるのであつて、石島ともみ合つてまでそれらの金を拾おうとする必要はないばかりか、いわんや、その間に千円札二枚をその端がちぎれるほど、ひつ張つていち早く自己のズボンポケツトに取りこんでしまう理由などは全くないはずである(被告人は、自分がポケツトに入れた二枚の千円札はいずれも破れていなかつたというが、それは当時、被告人がそれらの札の破れていることに気がつかなかつたというだけのことで、後刻被告人のポケツトから出された千円札二枚が、実際前記のようにちぎれていたことは、関係証拠上明白である。)。被告人が競輪場から川崎警察署に送られる車中において、「金を見たときしめたと思つた。」という趣旨を洩らしたことは、被告人が強くこれを否定しているにかかわらず、その際同車していた前記菅野および石島の両名が口をそろえてこれを確言しているところであつて、まちがいないことであり、また、これが被告人の真意であつたと思われる。さらに、被告人は、当時それらの千円札が石島のものであるとは思わなかつたともいう。しかし、折から一〇レースのしめきりまぎわで人の雑踏している競輪場の車券売場近くの路上に二〇枚もの千円札が、長時間もの間人目にもつかずに遺留されているなどということは常識上考えられないばかりでなく、証拠上明らかに認められる前記石島のその際の言動からみても、右二〇枚の千円札が同人のものであるとは思わなかつたという被告人の供述は、いちじるしく説得力を欠いているものといわざるを得ず、かえつて、被告人が、検察官に対し、「自分は千円札をその人(石島)ととりあいするとき、その千円札は、誰かにすり落されたかねだと思つた、自分がすつたのではないが、自分が拾おうとする直前、その人が誰かにすりとられ、すつた男がその人のそばに落したかねだろうと思つた。それは、その人が、『おれがすられたかねだ。』と云つてすぐあわてて拾おうとしたので、そのように思つたのである。」と述べている方が自然で、事理にもかなつており、右供述が、所論のいうように取調べにあたつた検察官の強要によるものとは、到底考えられない。以上の次第で、被告人が石島美智雄所有の現金二、〇〇〇円を窃取した(もとよりこれは、すり取り窃取の意味ではなく、原判決も被告人のすり取り窃取の事実を認定したものとは解せられない。)旨を認定した原判決には事実を誤認した違法は認められず、論旨は理由がない。註、本件破棄は量刑不当
(樋口 目黒 伊東)